2021年7月の振り返り 建前の大切さ

7月は自分の人生としては珍しく2回も遠征をしましたが、その一方で行かなかったライブのセトリや他のオタクが上げてくれた制服チェキを見て、心が痛めつけられることもあり、自分はそのアイドルさんのことが好きなんだなぁと推しの実感に痛めつけられる日々を送っております。*1

 ---

 

もうすっかり忘れ去れたことですが五輪の開会式の音楽を担当した小山田圭吾氏や小林賢太郎氏の解任などのトラブルで盛り上がってました。

商業五輪と言われる今のオリパラが世界平和に寄与しているなんてことを信じている人はもうほとんどいないはずなのに、平和の祭典という『建前』を持ち出して批判された両氏は結果辞めざるを得ませんでした。

 

オリパラから平和の祭典という実態は失われていてもその建前はまだ生きていたんだなぁと思う今日この頃です。 

 

----

 

で、我々アイドルオタクの建前ってどこにあるんだろうと思うのです。

自分が声優現場に通わなくなった理由の1つに建前と実質の乖離というのがありましたが(興味もないアニメのDVDの複数枚を強いられて会場でも作品のファンのみなさま〜と呼ばれる矛盾)

 

じゃあアイドルなら好きになった人「だけ」を追い掛けていけるのかと言えばそういう踏ん切りは自分の中にはない。

というより、そうなるとなんだかインターネット異常者に堕ちてしまいそうで、単推しとかがち恋とかファボ乞食とか説教おじさんとか、、そういうのに絶対になりたくないという思いがあるのでなるべく単推しは避けていきたいと思ってます。

 

また、自分が今細々と通っている現場は、曲で売っていきたいタイプのアイドルだと思っているので、大前提として曲が好き、グループが好きというのがあって、その上で各メンバーのパーソナルな部分に惹かれていくという流れを遵守したいと思っています。*2

 

で....その上で参加したイベント①がメイド衣装が売りのメイド大戦争でした。

決して、推し(まだ推しと明確に宣言したことはない)のメイド姿がみてぇ〜という訳ではなく、尺が長そうだからという理由と本人達からのきてねオーラを強く感じ取ったというスピリチュアルな理由となっています。

 

メイド大戦争

 

 

 大坂超エクストロメ

大坂は大変遠いのでわざわざ行くこともなかったのですが、あれだけ反対していたオリンピックに世間が盛り上がるのを見るのが嫌で、俺たちはオリンピック以外にも楽しむ物があるぞと言う政治しぐさで参加。

 

ちなみにオリンピックについてはこの後考えを変えて、もう始まってしまった物は止められないのだから、せめて普段見ない競技を楽しむことがこの大失敗プロジェクトから得られるわずかなものだと思って後半は積極的に見てました。

 

 

 

 

フェス系の良いところはいつか見ておこうと思ったアイドルさんに触れられることでアイドル文化が好きな自分に擬態できて素晴らしいのですが、今回は目当てが中物販だったため、後半のいくつかのアイドルの時は特典会の追憶をしていてまったく何も記憶できなかったりと、自分のDDスキルの低さとリソース不足に絶望しかありません。

 

ということでどうもDDは向いていない、かといって単推しに対するためらいは大きい。だからこそ、建前に立ち返ってグループの発展とますます売れることを願い続ける事って大事なんだなぁと思っています。

 

少なくとも、この年になってくると如何にして異常者オタクにならないようにするか、というのが大きな命題になってきていて、オタクなんて精神的弱者がなるものだと思っているのであっという間にファボ乞食とか特典会説教マンに堕ちると思ってます。

でも、ファボが来ると嬉しいし....いや、嬉しくなるから乞食になるんだと思い...

 

自分という存在を徹底的に消しながら推していきたいと思いながらも一度受けてしまった認知もあるのでアイドルさんを安心させるために定期的にちゃんと推してますよというアピールプレー程度に示していく必要もあり、その辺りもバランス感覚って結構大事じゃないかなぁなんてことを思いながら7月は過ごしていたような気がします。

 

いやバランス感覚が大事とかそんなの改めて言うことでもないのですが、言い続けないといつか自分が化け物になってしまう気がして、それが怖いのです。

 

たったの一度でも小山田圭吾にも小林賢太郎にもならないようにしないといけないなとそう思うわけです。(ちなみにこのブログを書いているときのホットワードはメンタリストDaigoさんです)

*1:超エクストロメ大坂のセトリやFLAMEさん生誕の制服衣装をみて

*2:これは多分声優オタク時代に培われた縛りで、声優オタク文化圏にはまず役者としてきちんとしていないと評価の対象に入れないという文化があると思っている。いつの頃からか演じたキャラより先に声優さんの顔が前面にでてくるようになってからちょっと違うのではないかと思うようになっていた...