戦闘少女の精神分析を読んでの感想文

ようやく読み切ったので感想文を残そうと思います。

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古い本ですがようやく読めたので感想とかいくつか気になったこと面白かったところを残していこうと思います。
 
○総評
正直、よく分かりませんでした。特に最終章では心理学的な用語があまり説明なく使われているので筆者がヒステリー化するということについて延々と述べられているが正直、その熱意を受け止められるほどの知力がなかったというのが残念ながら感想にます。。
萌えについても書かれた一文がありましたが何度読んでもよく分かりませんでした。。
面白い箇所はオタク紹介や事例紹介、特にヘンリー・ダーガーの紹介の章は話としてとても面白かったです。
 
 
気になったところ、面白いなと思った表現等
・はじめに
日本の戦う少女達はローティーン層に同一化するためのイコンであったがオタク達はセクシュアリアリティの対象と見なしている
 
・オタクとマニアの違いについて
マニアは実体を嗜好する(コレクターに近い形、)
オタクは虚構の世界のアウラを仮構する
→オタクはマイワールドを作ってそこで熱狂出来るという意味だろうか?
 
・オタクは虚構化によって愛着物を所有する
アニメのSSや二次創作、評論家的に語ったこと(虚構化)などを共同体に発表することでアニメを自らのものにする
 
・オタクと現実と虚構について
オタクは現実と虚構を混同などしていない、むしろ虚構の世界を現実と対等のもう一つの虚構と見なしている。
 
・オタクと非オタクの分岐点
アニメキャラで「致せる」かどうかが(オタクと性欲は不可分)
※自分自身はこの意見に全面的に賛成出来るかというとそうでもない、がある程度は有効な話だと思ってる
 
・三章の海外オタク事情や四章のヘンリーダーガーの紹介、五章での作品を羅列して分類する実例の紹介
 
大変興味深い話が続くので特に三章と四章は本書の中でも一番面白い箇所
 
・アニメやマンガの時間進行が実際のことなる時間(カイロス時間) を持っていることについて
マンガのコマの進行と時間経過が一致しないこと、サザエさん空間のような無限に同じ時に没入するのは日本の作品特有ではないか
 
高畑勲はアニメと日本語は密接な関係にあると言った
以下の本からの引用なのでこちらの本にどこかのタイミングで当たっておきたい
 
・日本の文化圏で「想像的なもの」を「象徴的」に処理する方法で特異な進化を遂げた
アニメにせよマンガにせよ日本では画力が軽視されていて、稚拙な絵であってもキャラやストーリー次第ではいくらでも良い感じに処理出来るのではないか?という仮説
 
・眼と手を重要視している
眼と手はもっとも作家が重視するポイントとなっている。
最小限の描線で最大限の伝達をする方法が大きすぎる眼と小さな口元であって、それが日本のアニメ絵の成立に繋がった
 
・欧米圏での図像に対する認識
図像そのものに性的魅力を帯びるべきではないという強迫観念が感じられる。
 
個人的にはここは人間は特別というキリスト教的な考えに基づいて絵に欲情するなんて人間の特別感に対する侵害、神への冒涜てきなことなのかなぁと思ったり